一期一枝

木にかこまれ、木と触れ合う暮らしの日記です。

電車のない島から…

特別お題「心温まるマナーの話」 by JR西日本

http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/jrwest

 

電車や駅のない島に暮らして、かれこれ11年になりました。

たまに島から出て電車に乗るときには、駅や電車の変化に戸惑います。

 

法事に出席するための10年ぶりの新幹線での帰省、乗車位置をよく確かめずに乗ってしまい、数駅先で切り離されると、私が乗っている車両は目的地と違うところに行ってしまうのがわかり、停車した駅のホームを歩くのでは時間的に間に合わないので、適度の乗車率の車内を、走行中にひたすら進行方向に向かってキャリーバッグを引きながら歩き続けるというご迷惑なことになりました。

 

やっと目的の一番前の車両にたどり着きました。

左右に2列ずつの客席、7割くらいの乗車率でしょうか?空いている席はひとつずつで、私と母と息子が2人なり3人で一緒に座れるスペースはありません。

 

平日のお仕事の移動でお疲れの方も多いのか?みなさん無表情無反応、迷惑そうな顔をされないだけ幸いでしたが、荷物も置いていない空席でも「空いてますか?」と声をかけやすい雰囲気はいま一つありませんでした。私たちがある女性の脇を通り過ぎると、その方は空いている通路側の席に置いたハンドバッグをさっと膝に乗せたのです。先頭まで行っても席はなかったので、ばらばらに座ることにして、私は迷わず、その方のその席まで戻って、「ここ空いてますか?」と尋ねると、笑顔でどうぞ、と言っていただきました。

 

ふるさとの方言で話す女性は、都会暮らしの娘さんの、お産の手伝いの下見のためにと、それからもう一つ「こっちが本当の目的かも」というのが、おなかの大きな娘さんの姿を一目見たくて出かけたのだったそうです。お話してくださるひとつひとつのことに、娘さんや義理の息子さんへの愛情がいっぱい感じられました。

 

お話を聞きながら、私も親元離れた都会で核家族の暮らし、義母と実母が交代で来てくれた、20年以上も前の産後のシーンの想い出がよみがえりました。

安産だったけれど、産後の起伏の大きい心は、怒ったり泣いたりもたくさんあり、公務員で定年後だった義母とは違い、忙しい仕事の合間に来てくれた母、実母のうっかりの多さ、お互いの思いやりのなさにいら立った私を思いだしました。定年後でゆとりのあるところ、自分もそうしてもらったんだからと、来てくれた義母とは違い、母に来てもらうことに関しては、いい子ぶりっこな私、母に会いたいから、そばにいてほしいからではなく、たまに田舎から出て息抜きしてもらおう、というような、この先の話の実母の部分は、それがその通りになったという苦笑ばなしですね。

 

女性の多い職場でリーダー的に活躍した義母は、細やかな配慮がいっぱいで、甘えに甘えさせていただきました。でも、甘え下手な私だから、お義母さんには居心地の悪い思いをさせたと思います。

実母はというと、お嬢さん育ちのまま、会社勤めの経験がなく、あまり気が利く人でなく、産後の私を思いやるよりは、母目線で気になるところの私がしなくていい、という掃除をして、肩こり、頭痛を勃発させて寝込んでしまい、私が母のためにおかゆを焚くという事態になりました。

その掃除は、巻き取り式のお風呂のふた。畑の真ん中にある当時のアパート、かびを防ぐのに窓を開けるから、土が舞い込んでどうしたって汚れるけれど、暮らすに差しさわりはないのです。ましてや、すでに1歳の上の子が手がかかる盛り、食べ盛り、そんなことを気にするより、ひたすら洗濯、料理、片付けの日々のさなかの二人目の出産ですから、してほしいこととしてほしくないことははっきりしていました。

やたら逆のことをしたがる母に、産後のイライラを爆発させないように、といういい子ぶりっこのとどめ「最後に観光でもしてくる?」とお出かけをすすめ、行先は東京の西のはずれから、都心をまたいだお江戸の下町浅草、まだ携帯電話もないころ、都心のデパ地下で、ちょっとめずらしげな夕食の買い物など頼める時間に帰りの時間を知らせる電話が来るのを期待したのに、連絡もないまま慣れない街の夜歩きが心配になるほどの終電近い時間に「ああ、楽しかった」と帰ってくる始末でした。

このパターンはその後、母が故郷の家を引き払い、私のそばで暮らすようになった今でもあまり変わりません。娘さん想いのその方お話を聞いていると、義母を思い出しました。義母とはその後、離婚をしてもう10数年会っていませんが、気遣いの温かさや手料理の味、また逢えたらな、とは思っても、そうはいきませんね。

その方の娘さんの安産を願いつつ先に下車した後姿を見送り、私も間もなく懐かしい10年ぶりのふるさとに降りました。

 

f:id:mamaearth:20160612213714j:plain 降りたところには天狗さん。内輪の葉っぱに目が留まり、よく見ると木彫りでした。

 

 

f:id:mamaearth:20160612215936j:plain

 

 

駅を出る自動ドアの内側に、風で飛ばされたか、押し葉の葉っぱがおちていました。今会ったばかりの天狗さんのうちわによく似ていて、思わず拾いました。

f:id:mamaearth:20160612213908j:plainお寺さんでは色鮮やかな楓に目が留まりました。10年ぶりどころではないお寺さん、田植えで忙しい弟の代わりにお墓の掃除ができる流れになったのはうれしいめぐりあわせでした。

法事は無事に済み、子どものころに境内で遊んだ懐かしい神社に行きました。元旦那さんは同郷です。元旦那さんの実家は神社からは歩いてすぐです。お義母さんに会いたいと思いながらも、離婚でご迷惑をおかけしたこと、悲しい思いをさせたことを思うと、すぐ近くを通ってもいきなり顔を見せる勇気はありませんでした。

神社でお参りしながら、お義母さんがまだまだ健康でいてくださることを祈り、いつか会ってごめんなさいといえるよう、またそんなに先でなくふるさとに来ようと思いました。

 

 車中の出会いがなかったら、こんな振り返りはなかったと思います。

母は、無邪気で悪気がない、少女のような人です。母のつまらないことに傷つきやすい私ですが、こんなようなありがたい出会いが時々やってきて癒されながら、歩いてすぐ、みそ汁が冷めない距離感の行き来で暮らすご近所さんです。

電車がない島、時刻表も終電もなく、一台の車を一緒に使い、地域の高齢者向けの活動に大忙しの母と、時々の外仕事のほかは家で木を彫ったりぬいものをしていたりする方が好きな私と、車の出番のバランスはちょうどよく、顔が見えるところで実の親が元気にいてくれているのはありがたく・・・でも、もうちょっとお互いのために思いやりや距離の心遣いを工夫する余地があるのかもしれません。

 

心温まる電車の中でのエピソード、というので、すぐに思い出したシーンから思いがけず長い振り返りになりました。乗ったのはJR東日本ですが、企画してくださったJR西日本さん、ありがとうございます。母と一緒に遠出は初めてのこと、ふるさとへの法事の帰省で、おみやげや、連絡ごとの準備も大変でした。そういうことのない旅行に出かけたことがありません。いずれそんな機会を作って、西への旅をしたいと思いました。

・・・そのほかにも、この帰省でたくさんのこの先に向いたお題をいただきました。それを大事に思い返せるよう、天狗のうちわの落ち葉がいつも見える額の中に入れています。