コビト、とカタカナで打っておくのは・・・
小人と木人と、両方の意味を心に響かせながら
この方たちを語ったり、呼びかけたり、思ったりするからなんです。
時々コビトさんをつくっています。
つくる、にも
作る
造る
創る
と、辞書的には上から順にスケールが大きくなっていくみたいですが、何を作るにしても、無から生み出されるものはないと思っているので、にんべんの「作る」より、神様の域を含むような「創る」を、いろんなところで使ってみたらいいんではないかな、と思います。
宗教はやってませんが・・・
規則を・・・だと、辞書では「作る」みたいですね。
でも「創る」にしとくと、みんなのためになる、クリエイティブですこやかなものができそうじゃないですか・・・?
コビトさんたちを、樹の中で育てているのはカミサマで、私はたまたま通りがかってその氣配を感じて、切ってみたら、あれまあ~、と
かぐや姫のおじいさんのような・・・。
漢字(感じ・フィーリング)でいろいろ意味の区別ができてしまう言葉ですが、音で発するときに、意識的にいろんな意味を含ませて発するようなことを時々試みて楽しみます。