一期一枝

木にかこまれ、木と触れ合う暮らしの日記です。

母がくれた宝物

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「母は私のことなんかちっとも

わかってくれない」

 

と言う思い込みがあって

 

普段、大体それを実証する

やり取りが多かっ「た」のだけれど

 

これだけは

どうしてこれが残って

母が私に手渡そうと思ってくれて

やって来たのかが不思議だった。

 

ふるさとの懐かしい庭が

更地の駐車場になってしまったいまは

とてもとても大切な宝物。

 

これ

 

懐かしい庭のケヤキ

 

木肌や

幹にあった傷を

樹が修復したでこぼこなど

よく覚えている。

 

大きな樹が多い庭で

そのままそこにいたら

大きく大きくなれたはずの

 

杉や松、モミ、イチョウ、桜などに

見おろされていた

ケヤキの若木。

 

樹にそこで触れられたころに

こんなふうに考えたことはない。

 

今頃こんなことを想うのは

古い大きな樹たちの

わたしを包んでくれるような

守るような存在感と違い

 

若木のケヤキ

子どものわたしに

年の近い友だちのように

存在してくれたかもしれない。

 

だから、まだ若く背が低い

他の木に見おろされるというか

見守られているケヤキ

 

見守られ世代なりの共感かな?

 

子どもの頃

両親のどちらかに叱られて

夜の庭に出され

祖父母のくらす離れの軒下

 

祖父母の家に上がらせてもらうことはせず

子どもなりにどうにか不満だしきり

反省したり

家に戻る頃合いをはかったり

 

そんな時間のそばにいてくれた

樹だったのだ。

 

晩年、しばらく寝ついた後に

帰らぬ人になった祖父。

焼香に、大好きな校長先生が

来てくださって

 

おじいちゃん子のわたしに

声をかけていただいたのも

そのケヤキの隣でだった。

 

こんなふうに想い出のあちこちに

このケヤキの存在感が濃いのは

 

ただ、覚えている

ということだけではないのだという

 

思い込みのようなものの理由は

今、ここにある宝物の

太枝の断片と関係がある、と

 

これもまた、思い込みのようなもの。

 

今くらす土地の植生では

ケヤキはあまり見ないけれど

この10年、そのせまいなかでの

4度の引っ越し

 

2カ所にケヤキがあり

 

今くらすところにも

ケヤキがいてくれている。

 

川がないこの地域で

大雨の日に樹を伝う雨水の勢い

 

葉で集め、枝を伝い

根元にどれだけ水を流すやら

あめつちのまをつなぐ

縦の川だと感動して見入ったものだった。

 

 時々手にするケヤキの輪切り枝

その時々、忘れている何かを

思い出させてくれる年輪

 

きっと

わたしも母も

この樹と一緒に

育ちあっていたのかもしれない。

 

戦中戦後に幼い時期を過ごした

母の世代のほうが

きっと幼い頃の傷は深いのだ。

 

だからと言って

すべて許されるというわけでもないし

許すとか許さないとかは

個人の領域ではない

みんな許されてる、と思ったほうが

お互い次の一歩ごと

大切に歩めるのかもしれない。

 

何にも考えずに

〇〇党っていう母と

選挙フェス動画一緒に見た。

 

憲法として

人だけでなく生態系の権利を

うたう国もあると知った。

 

わたしが尊敬する母世代の人たちから

「世代の責任」という言葉を聴く。

 

のちのち

大きな責任を

喜ばしい責任を祝いあえるようにしたい

今、あと数日特別な時なのだ。

 

親子が分かり合うこと

諦めないで。

 

わ、かりあう。

 

重ね合う年輪、わの美しさ

 

対話のテーブルや椅子

床、壁、みんな見守って

寄り添ってくれている。 

 

「た」について。

終わったこと

終わってほしいことは

「た」をくっきりと

過去形で語ることたそうです。