一期一枝

木にかこまれ、木と触れ合う暮らしの日記です。

癒やしって?

ヒーリングワンド

っぽいものが出来ました。

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癒やしという言葉について

「癒しというのは本来名詞形で使うものではなかった」

という忘れられない言葉がありました。

共感しました。

14~5年前のことです。

 

が、世の中には、名詞形の癒しや

ヒーリングという言葉があふれ

癒しグッズ、ヒーリンググッズも

いろんなものが売られ

癒しをお金で買うようになりました。

 

お仕事でしてる方の批判ではないですよ。

私もその一角にいるわけだし

職業として成り立ってしまい、市場もあるわけです。

 

すこやかな目線で、そこにいる自分を見つめて

自分として大事なこと、物は、見失わずにいたい。

 

5~6年前?

佐藤初女さんの本をいただきました。

 

いまを生きることば「森のイスキア」より (講談社+α文庫)

いまを生きることば「森のイスキア」より (講談社+α文庫)

 

 

人が他の人を癒すことはできないと思う、ということを

書かれたページを読み

ああ、このページを忘れずにいよう、と心に決め

決めたことは、心から離れないので

私がそういう心を持ちながら

 

今、樹に触れて、木に触れながら

私が心向くままつくるもののなかに

ヒーリンググッズっぽいものがあることに

戸惑いがあって、改めてこの本をよみました。

 

ほかにも癒しを語る本はたくさんあるけれど

初女さんのお話も

じかに聞いたことはないんだけれど・・・

 

樹や植物のそばにいると癒される

という感覚になる人はたくさんいます。

そうでない人もいるでしょうけど

私は、癒されながら木を削り

 

昨日は、夢中になって指に水ぶくれを作るまで

やってしまいました。

 

それはやらないって決めていたのに・・・。

 

樹皮を残す模様には

彫りながら、また、一夜明けてやってくる

意味づけのようなものがあります。

つながった線が途切れそうな刃の入れ方で

ひやっと、の一歩手前くらいのことが

なんどもあっても

線は途切れることなく

つじつま合わずになやむことなく

模様が現れてきます。

 

夢中で、指の腹が水ぶくれているのも氣づかず・・・。

 

写真の背景に、木を埋めた土の面があります。

 

ここは以前は、もっと広くて

雨の後でなければ白っぽく乾いていました。

 

すぐそばの桜の木が弱っていて

ここを掘ったら、木の根が全くありませんでした。

 

深く掘って、太い枝、中くらいの枝

小枝、枯葉、炭などいれて

杜の園芸さんのやり方を中途半端ながらやってみて

1年くらいかな?

 

乾くことは少なくなり

コケも少しずつ増えてきて

きっと、いつも踏みつけていた木の根の動きが

少しは楽になり

木の足元に、まあるく根を伸ばせるように

なってきたんではないかと思います。

 

昨日は、作ったいっぽんの

これは自分でずっと持っていたいと思うものを

枕元に置いて寝ました。

寝覚め、手に取って、朝の夢から目覚めて

現実とスイッチ切り替える時間を

樹皮の線を何度か指でたどりながら

 

Healingって

癒している、癒されている

相互通行で生きる言葉でしょう?と

この記事の最初のお話の方の

続きの言葉を考えていました。。。

 

それで言うなら、このワンドは

私にとっては間違いなくヒーリンググッズですね。

 

水ぶくれの水を抜き

むけずに落ち着いてくれるまで

力がいる刃物づかいはお休みです。

 

3本のうち1本は

まだ切りたての松です。

痛みというほどではないけれど違和感のある指先で

まだいくらかしっとりした感じの木肌に触れ

 

少しずつ放たれて乾いていこうとする

樹が生きていた時のいのちのお水が

優しく指に触れてくれるのを味わいます。

 

こんな風に癒される味わいを

ちょっと濃くしてくれた水ぶくれでしたね。