一期一枝

木にかこまれ、木と触れ合う暮らしの日記です。

クモさんにお願い。

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脱いだ服を壁に放置したままっての

やめていただけませんか?

 

脱皮と言うライフイベントが

あなたにとって

とても大切な時だということ

理解しているつもりです。

 

お片づけの代行も

いつもゴキブリ退治を

していただいているお礼に

喜んでさせていただきますが

 

なんとも形容し難いポーズの

脱ぎ捨てた服は

あの…形容し難くて

言葉が続きません。

 

母の癒し

地球の癒しは母の癒し

親子の絆を呪うのは

 

時代的に進化してるはずの

子どもの方からやめる、やめたつもりでいる。

 

呪うってね

わら人形とか

呪いのお札とか?

そんな怪しいんでなくても

 

うちの毒親は

とかいいうやつ、言葉だけで十分な呪い

こもる怨念だと思う。

 

互いに呪うの卒業できれば

次世代を想いやる目線が生まれるものですよ、きっと。

いま姿勢としてどうにか

身につけている最中

必ず身につく

そう思って暮らしてる。

 

 

親世代のちょっと上の

戦争を経験した世代の方から

世代の責任っていうフレーズを聴いて

ドキッとしました。

 

じゃあ、私の世代の責任は?

 

戦後

高度成長期がくれたものや

そのおかげでこわれたもの

客観的に見ながら

 

無責任世代の親世代に

下から目線にも上から目線にもならずに

 

伝わりそうなところ目がけ

伝えたいことをこころから伝える

そんなことかなと

母になった自分をみずから癒しながら

 

すると

子どもの自分、赤ちゃんの自分も

癒され始めました。

 

その過程の節目節目に、樹々や木々

そして動物たちの存在があります。

 

肉体のお母さんは通り道で

すべての地球人のお母さんは

 

ママアース…

地球ですよ。

 

通り道といえど

その通り道になるということが

時に命懸けで

喜怒哀楽を生みながら膨らむおなか

そしていよいよ産みの時には

 

産み落とすんですね。 

一旦手放して

ママアースに受け止めてもらうんですね。

 

そして、手元に戻ってくる

授かりものではないかも。

 

 子どもたちは

地球からの預かりもの。

 

私たちが自分のものと思って

ぞんざいに使うからだだって

あずかりものかもしれない。

 

きれいに使って、堂々土にお返ししたいけれど

今のままだと土にはあんまりおいしくないみたいで

おかあさん、ごめんなさい。。。

 

あなたの遺体はちゃんと腐りますか? | ローフード ダイエットで超健康体になろう!!

 

スーパーネイチャーの

ワトソン氏のおばあちゃまが

ご主人の願う野生の弔いを実行しようという

ストーリーが素晴らしくて…

 

こんなスーパーおばあちゃまのもとから

スーパーな孫へのつながり

何とも納得です。

 

いのちの教室

いのちの教室

 

 

お墓なんていらない、と、すでに子どもたちに言ってある私と

 

同じ墓に入っている身内

義母、義弟を嫌いながら

旦那さんと同じお墓に入りたいといい

だけど

他家の婿に入った弟に

きちんと話をつけてといっても

それはしないんですね。

逝ったあとは任せるから

そんなつもりでいるから

きっとボケるんです。

 

まずしたのは

嫁ぎ先の身内を嫌いながらも

あくまで実家のお嬢さんでいようとする母に

それがどれだけ、私を狭い植木鉢に閉じ込め

鉢の中の土を腐らせたかを

あの手この手で教えることでした。

 

愚痴ではなくて、今も日々積み重ねている

前向きな事実です、はい。

 

癒しって、一時の気持ちよさに

ごまかし笑いでなくてね

目を合わせ、こころから笑いあえることだと思うから。

 

しょっちゅうカギをなくしては

誰かに取られた系の

反応をする母だったので

 

そばにいる唯一のその人の娘としては

 

ボケませんように、でなく

ますますすこやかに

キゴコロ分かり合えますようにって

 

かさばり、音がして

母の好きな色の袋に入った

キゴコロキーホルダー

 

君にはとっても助かっています。

期待以上です。いつもありがとう。

 

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大きなキゴコロ、ゴロゴロ

これまでのサイズ感を大幅にアップする

最大サイズのキゴコロ!

 

途中何度かやめようかな?

指もつかな?

と、ほかのものに作り変える余地がないかと

考えてしまう太さです。

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 太いだけじゃなく

1メートルくらいある枝分かれのある枝

膝の上でゴロゴロ転がし取り回しながら

ナイフでサクサク、生木の感触。

 

彫り進むと、さすがに椿

固くってカリカリ。

 

以前、枝分かれの所だけに

短く切り取って彫っていたのと比べると

 

握りしめたり固定したりがないから

刃を当てる向きが

上下逆転するときが面倒でも

重さに助けられ

手を添える程度

 

固定はしないでも

押さえる手としては

ラクチンです(^.^)

 

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過去最小のキゴコロと

並べてみました。

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椿です。

 

もう一度…

固いです。

大きさの分、固いみたい。

刃あたりの面も大きくなるから

当たり前。

 

よくここまで形が出来てくれました。

 

磨きには乾くのを待たねばならず

しばらくおやすみです。

 

乾くと締まるので

木の収縮度合いで凹凸ができるから

そういう意味でも

しっかり乾くのを待ち

乾いてさらに固くなったら

磨きです。

 

どのくらい待つようかな?

 

観光地の夏休み

 

少しでもブログ続けていたいと

思い直しましたが

一昨日隣の畑の奥さんとおしゃべり

バイトに行くことになり

投稿で精いっぱい。

 

ブログを続けるって

一方的に出すだけでなく

読んで下さる

スターいただくみなさんのブログ見るのも

楽しみなんです。

 

でも、しばらくは

投稿だけで精いっぱいかも。

 

ごめんなさい。

 

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地球の癒し

と、かなり大きくでました。

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いかしいかされあう

喜びが響き合うこと。

 

思わぬことで誰かに喜ばれたりすると

すごく嬉しいです。

 

地球も私たちを喜ばせようとして

あれこれしてくれてるんでなくて

ただ、ひとつの星として

地球は地球で生きていて

私はそこにいさせてもらい

勝手してるだけですから…

 

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スカシユリ

向こう側が隙間から見えるから

スカシユリなんですって

意外だったけれど

花びら透けてないしな、そうだよな・・・

 

地球の中や向こう側は見えなくて

 

見えないものには

信頼できるかどうかなんてとこが

大事なんだと思ってますが

 

癒しなんて言う

見えない、つかみどころがないもの

 

例えば、一時の傷や痛み

 

地球も、私たちも、いつも移り変わりながら

自ら癒そうとしているんだ、と信頼するなら

 また、見え方が違ってきますね。

 

うちの母のボーイフレンド(^^)がいうには

おじいちゃんだかおばあちゃんだかが

からだに傷をつけるもんじゃない

と言っていたそうで

 

今は簡単に入院して手術なんてことが

日常茶飯ですが

見えないから氣を配るんだよ

 

こう考えると

なんだかいろいろと心地よくなります。

 

あ、氣を配るでなくて

 

心配になっちゃうと

よくないことを想像しがちで

これを呪いと言うそうです。

 

母が認知症になりませんように

お母さん、いつも素敵よ!

ありがとう!!

 

病気になりませんように

すこやかさにありがとう!

 

戦争になりませんように

平和にありがとう!

 

地球の癒しって、おおごとのようでいて

 

暮らしや身の回りの

小さなことの繰り返しや

積み重ねなんですよね、きっと。

 

で、その小さなこと、だからこそ大事

大事も小事も、小事・・・こごと

母さんの愚痴や小言

聞き流すくせつけちゃいけませんよ。

 

怒りの噴火や涙の洪水、あなどれませんから。

地球母さんありがとう!

樹に色氣を感じる・・・

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抱き合っているようでもあり

取っ組み合っているようでもある二本の樹

風でこすれあっている面は

樹皮はなく、木地がむき出しです。

 

長年寄り添って、微妙なアングルの絡みに

色っぽいなーと感じる私は

だいぶ植物人間化してるのでしょうか?

 

厚い皮で本音を隠してケンカも功を奏すというわけにいかず

むき出し、ぶつかり合い、傷つきあい

 

そんなことで絆というのが育っていくんでしょうね・・・

 

そのうえこの方たち、肌の色の違いを超えている。

人がこんなことで思い悩むずーっと前から

 

もりのなかでは樹々がふれあって

ぶつかり合って、磨かれあっていたのかもね。

 

「ケンカ」という認識をやめて、 「お互いに言いたいことを言って、 妥協点を探る場」という風に認識し直す。 そして、言いたいこと、不満なことがあったら、 相手も自分も落ち着いて 時間をちゃんととり、 「とことん、言いたいことを言い合う」 「素の自分になって、素直に」 お互いが言いたいことがなくなるまで、言う。 すべての意見が出そろったところで、 やっと お互いの意見を擦り合わせる。 妥協点を見つける。

正しいケンカの仕方。 - 女医とも子の診察室

comuron47.hatenablog.com

 

夫婦喧嘩の是非、みたいな話になるときに

慣れた二人のコミュニケーションのふり幅が

ある部分で大きくなって

利害とか感情にお互い自分を見失ってるだけだよね?

って言っちゃう。

その状況にケンカという名をつけたのを

外してあげるのがいいのかもしれないです。

 

愛のにゃんこ先生、梅ちゃん(^^!

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とらわれ

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われがわれがと

キゴコロ知り合うのに

とらわれがじゃまになる

 

オレが、あいつが・・・

お前はいつも、とか

あの時こうだったから、とか

 

糸紡ぎは

思い込みの綿ぼこりいっぱいの

モヤモヤしたところから

一本の糸を引きだしていく仕事

 

とらがぐるぐる

溶けてバターになるってのは

想像すると

ちょっとシュールなファンタジー

 

ケボコリ綿ぼこりから

糸を紡ぎ出す

 

われがわれがのしがらみから

共有出来る意図をより出す

 

なんてのはいかがでしょう?